ママチャリを漕いでても誰も振り向かない

家族の思い出が詰まったママチャリは、深夜2時の埋立地で階段に激突して壊れました。

夕張に行ってきたよ

 世間にはウサギ系男子だとかいう野郎のジャンルがあるらしいが、自分のことは蝿系男子だと思っている。公園に放置されてる犬の糞に群がってる感じの。ウサギは寂しいと死ぬし、蝿はハエタタキで叩けば死ぬ。

 

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 最初に断っておくが、別に自分の行く先々のことを犬の糞だなどと言いたいわけではない。ウンコに群がっている蝿なんていうのはあくまで社会に順応できず逃避行ばかりしている自分に対する、そうただの自嘲である。小学生の時、半年ぐらい野外に放置していた金魚の餌にウジがわいていたことがあるが、自分のことをあれだと本気で思っている訳が無い。

 

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 都会が嫌いである。田舎に住めば幸せになれるとも別に思っていないが、少なくとも都会は嫌いである。

 都会の嫌いなところなんてのは上げ出すとキリがない。とにかく人が多いのは最悪だ。無関心なフリをしておきながらたまに露骨な悪意を向けてくるし、そうと思えばまた無関心に戻ってスマした顔をしている。私は公園のウンコに群がっている蝿だが、都会でそのことがバレてしまえば即刻潰されるか殺虫剤をかけられるかして死んでしまう。だから必死に人間のフリをしようと努力している。

 しかし蝿が人間のフリをするとなるとやはり疲れるのだ。だからたまに蝿の姿に戻るべく、私は旅をする。

 

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 夕張に行ったのは七月だった。前日札幌で泊まった3000円のドミトリーは、クーラーがなく保温性の高い北海道の住宅ならではの熱気と、隣のおっさんのいびきのせいで最悪だったし、朝からの低気圧で頭が痛い。おまけに背中には機材と衣服でパンパンのリュックである。これがクソほど重たいのだ。蝿が幸せを手にするのはそう簡単なことではない。

 

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 夕張支線が廃止になったのは四年前のことだ。石炭産業の斜陽をモロに受け、1981年に新規開通した石勝線の支線に格下げされた後、結局廃止されてしまった。普通、廃止から四年も経った廃線跡というのはそれなりに撤去が進み、原型をとどめなくなってしまった駅というのも少しずつ増えてくる印象だが、この夕張支線は幸か不幸か全ての駅がかなり原型を残した状態で残っている。

 新夕張駅前から夕張線の代替バスに乗り、清水沢三丁目のバス停を降りた。交差点名は未だに"清水沢駅前"のままである。

 

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 清水沢の中心部を出て、しばらく東へ向かうと、いかにもな福祉住宅群が目に入る。入口が生い茂った雑草によって完全に塞がれ、一目で無住だと分かるものがある一方で、洗濯物の干された、まだまだ生活感の残る棟も一定数存在した。兎にも角にも、この荒涼とした様には本州では味わえない良さがある。パンパンのリュックからカメラを取り出してシャッターを切った。レンズはMC-11をかませたキヤノンの撒き餌をつけることにしたのだが、さすがは撒き餌とだけあってボケはしても前ボケは汚いし、フリンジは凄いし、周辺は不自然に減光している上、滲んだ絵の具さながらに甘々である(開放で撮る自分が悪いのだが)。しかしこれがいいのだ、これでいいのだ。

 

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 清水沢の東、清栄町から宮前町を回ってバス停に戻る途中で、お婆さんに話しかけられた。次のバスまで随分と時間があった。

 数年前に交通事故で亡くなったという旦那さんは羽幌、築別炭鉱の坑夫で、自身も羽幌の漁師の家の出らしい。羽幌には何回も行ったし、築別の炭鉱跡にも足を伸ばしたことがある。往時の賑わいをネットの資料で見て、その変容ぶりには驚いたものだ。人の営みなんてものは、偉大なる自然を前にたった数十年で跡形もなく消え去ってしまう。それはここ夕張も例外ではない。築別が閉山してから数年後、と思しき航空写真を地理院地図で見たことがあるが、それが今の夕張の姿と重なって見えて仕方がなかった。

 築別が閉山になった後、まだ現役だった夕張に呼ばれてこちらへと来たという旦那さんとお婆さんだったが、結局その夕張も数年後に閉山してしまった。閉山の遠因となった、かの北炭ガス突出事故も身近な出来事だったという。旦那さんはその日たまたま非番だったために難を逃れたらしいが、お婆さんの語り口調からそれが町にとっていかに重い出来事であったかは容易に想像することができた。

 

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 過去のことは神妙な面持ちで語るお婆さんだったが、一方で自分の孫のことや、朝夕に家の前を通るという小学生たちのことはとても楽しそうに話していた。市内に三つ残る市営浴場の一つで受付をしているという娘さんは、孫の誕生日プレゼントを買いに札幌まで出ているらしい。今日のように話し相手が欲しい時は、家の前に立って、登下校する小学生や、自分のような物好きに話しかけるそうだ。一時間近く立ち話をした後、バウムクーヘンとカルピスとパピコ、ヤクルト、リポビタンDに大量の飴まで頂き、礼を言ってからバス停へと向かった。

 

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 ヤマの天気は変わりやすい。バスを降りると雨が降っていた。バス停の名前は「マウントレースイ前」だが、名前の由来となったリゾートホテルは親会社が三年前に倒産し休業中である。バス停から、その景色には似つかわしくない立派なホテルを見上げると、"ゆうばり駅前"という交差点名が目に入った。しかしながらこれもまた四年前に廃止されたっきりで、二度と列車の来ない駅のホームだけが寂しく残るのみだ。

 廃止から四年経ってもそのままの「夕張の鉄路にありがとう」の横断幕と、「もう誰を迎えることもない「おかえりなさい」の看板が、どこか申し訳なさそうに佇んでいた。

 

DSC05480私は蝿なので、賑やかなお葬式が終わって見向きもされなくなった駅跡を見るのが正直大好きである。

 

 気が付くと雨は止んでいた。近くのセイコーマートで買ったカツ丼(世界一美味い食べ物だと思う)を平らげ、市街の更に北へと歩みを進める。荷物が重いから本当はバスに乗りたかったけど、あいにく次の便は三時間後だった。

 

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DSC05488 左奥に見えるのが市役所。

 

 本町地区に入ると、その独特な荒涼感(もはや悲壮感と呼ぶべきだろうか)は更に顕著なものとなる。街の左上を通る道道を歩いていると右手奥に廃中学校が見えてくるが、それより更に廃校らしいとでも言うべき夕張市役所は未だ現役で、景気の良かった昭和時代の記憶を如実に物語っている。ただこれも、いずれ清水沢地区に移転されてその役目を終える予定らしい。移転後この建物はどうするのだろうか。きちんと取り壊してもらえるのだろうか。それとも他の数多と同じく、自然に朽ち果てるのを待つのみなのだろうか…。

 いずれにせよこのドデカい市庁舎が、かつての夕張の繁栄の何よりの証人であることは言うまでもない。

 

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 一時間ほど北へ歩いた。

 

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 1982年に廃止となったその小学校は、廃止後宿泊研修施設に転用されたが、それも17年前に閉鎖され今に至る。

 廃墟だの廃駅だのは大好物だけれど、廃小学校は特に好きである。理由、と聞かれるとはっきりしない。色々と辛い中高生活を送ったから、相対的に楽しかった小学校を懐かしんでいるのかもしれない。でも何となくそうじゃない気もする。こういう感情は言語化しない方がいいんだろうな、とも思う。

 

 また雨が降ってきた。

 

DSC05431-2 旧鹿ノ谷駅舎内。

 

 折り返しのバスで鹿ノ谷まで戻った。旧鹿ノ谷の駅周りを一巡した後、ホームを降りる。草むらを歩いていると靴に雨つゆが染み込んできて気持ちが悪い。札幌のファミマで買った折り畳み傘をさして、できるだけ草の茂っていない場所を選んで歩いた。

 

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 ルピナスは退廃の花だという。かつてそこに住んでいた人々が育て、主人がいなくなった後も自生して毎年花を咲かせる。主人たちがそこにいたという記憶がものすごいスピードで緑に飲み込まれていく中、その外来種だけが図太く残り続ける。

 夕張に行ったのは七月だった。ルピナスの見頃は六月下旬までらしいから、私が見たルピナスの花はきっとその年最後の姿だったのだろう。花を落としてしまったと思しき株も多くあった。「退廃の花」でさえ枯れてしまっていたのが、少し寂しい気がした。

 

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  雨が激しくなってきた。遠くでは雷も鳴っている。この世に生を受けて18年経っても、外で聞く雷というのは怖いものだ。駅舎内は施錠されて入れないから、急いで軒下に避難するが、やっぱりどこか心細い。駅が現役ならこんな思いもせずに済むのにな、と思う。

 

 時代の目まぐるしい変化の中で、幾多もの人々の生活、思いが犠牲になってきた。ここ夕張だってそうだ。常に危険と隣り合わせの過酷な労働に耐え抜いてきた坑夫たち、それを支えてきた人々、街。「エネルギー革命」という名の大きな変革を前に、それらは本当に取るに足らないちっぽけなもので、きっとこれからも、そんなちっぽけなものたちを犠牲にしながら社会の歯車は回るのだろう。それを変えようだとか止めたいだとか、この場末のブログでそんな主張をする気は毛頭ない。身の程知らずだとは十分承知しつつも、ただ共感せずにはいられないだけなのだ。この社会の歯車の、本当にちっぽけな、ちっぽけな、使えないパーツの一つとして。

 

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 いつの間にか雨は止んでいた。

 

 南へ向かうバスに乗り込む。一泊予定のユースホステルは、最寄りのバス停から1キロ強歩いた林の中だ。これを乗り過ごしてしまえば明るいうちに辿り着くことができなくなってしまうから、時間に間に合って一安心した。さっきまであんなに降っていた雨もピタリと止んで、雲の間からは晴れ間さえ見えている。やっぱりヤマの天気は変わりやすい。首にぶら下げていた一眼をリュックに無理やり押し込み、時折ポケットから取り出した写ルンですのシャッターを切りつつ、ぼーっと車窓を眺めていると、少し瞼が重たくなってきた。

 

夕鉄バス

 

 はっとして目を覚ました。気づけば今まさにユース最寄りのバス停を通過しているところだ。慌てて降車ボタンを押し、財布から小銭を取り出す。バスとはいえ田園地帯だから、バス停とバス停の間はそこそこ距離がある。マップで調べると1キロ弱だったが、歩くべき距離が二倍近くになったわけだから、どうしても損した感は否めない。何といっても背中にはパンパンのリュックなのだ。蝿が幸せを手にするのは、やっぱりそう簡単なことではない。

 

 バスを降りて、クソ重い背中の荷物に心の中で悪態をつきながら歩いていると、雲の合間から西陽が差し込んできた。

 綺麗な夕陽だった。本当は一眼に収めたかったけれど、一回片付けた(それも無理やり仕舞い込んだ)ブツを背中から下ろしたリュックから取り出す手間なんて考えただけで嫌になる。代わりに写ルンですのフィルムを一回分消費して、こんな夕陽が見れたなら乗り過ごしたのもそう悪いことじゃないな、と思う。

 私は蝿だ。蝿だから都会は生き辛いし、どこまでも背中の荷物は重いし、バスは乗り過ごす。でも蝿だから、こんな綺麗な夕陽と出逢うことができた。

 

 立ち止まったついでにお婆さんから貰ったバウムクーヘンを一切れ口の中に放り込んで、ユースへの道をまたトボトボと歩き出した。

 

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あいさつ的なやつ

こんばんは。

鈴蘭台っていいます。写真とか動画とか撮ってます。果たしてそれが撮っていると呼べるほどの代物なのかどうかは置いておいて...

 

夏も終わりですね。寂しいです。今夏、3週間弱ぐらい北海道にいたのですが、その時撮った写真etcの行き場所が見つからず...

ほんとちっぽけな人間なので活動場所は極力小さくしたいタチなのですが、どうせなら、ということで始めてみました。文章書くのも写真撮るのも諸々編集するのもまったくの初心者ですが、生暖かい目で見といてやってください。